ジクザグの通路を通って数回表にでるのですが、そうすると村が見えます。
ここもU寺谷の中。
トリュンメルバッハの滝を流れる水の色も灰色っぽかったので、きっと上の方の氷河が溶けて流れてくる水なのでしょうね。
2018年7月8日からのもにもにの毎日。お空のムーちゃん、ブーちゃん、べっちゃん、きゃっちゃん、べべちゃん、そしてもいちゃんが見守ってくれているよ(●^_^●)
ユングフラウに最も近い村ヴェンゲンの下に位置するラウターブルンネンの谷(U字谷)には、大小72もの滝があるそうです。
トリュンメルバッハの滝は岸壁の中をものすごい勢いで流れ落ちています。
岸壁の中のトンネルのような狭い通路をジグザグに上がって行くのですが、破線のところまではエレベーターというか、採掘現場のリフトみたいなので上がっていけます。
採掘現場のリフトみたいなエレベーター。
ちょっとインディージョーンズ風でワクワクしました(^_-)-☆
爆音とともに、細い所を猛烈な勢いで流れる滝。
画像ではわからないと思いますが、すごい迫力でママは大興奮(^з^)-☆
岸壁の中
試しにフラッシュをたいて撮ると、水しぶきだらけです。
マイナスイオンと水しぶきをたくさん浴びて面白かったです。
カメラ、壊れなくてよかったー。
ユングフラウヨッホ駅(3454m)はユウグフラウ(4158m)の山の中に掘られた駅です。
こーんな急角度の洞窟線路を走っているのですよ。
なので、帰り(下り)は進行方向に背を向ける座席が楽なんです。
クライネ・シャイデック駅(2061m)まで下って来て、ここでランチ。
ちょうどお昼時だったので、REST BAHNHOFは激混みでした。
まったく期待しないでソーセージとロシティ(じゃがいものお焼き)を注文したのですが、どちらもとっても美味しかったです。
量がたくさんなので添乗員さんとシェアしたのですが、一人でも食べられたかもぉ。
クライネ・シャイデック駅で、滝を見に行く為に往路とは違う電車に乗り換え。
13時31分の列車でラウターブルンネン駅に向かいます。
シュタウプバッハ(の滝)が見えてきました。
※バッハは滝の意味です。
目的地はこのシュタウプバッハのすぐ近くにあるトリュンメルバッハです。
ラウターブルンネン駅(797m)で降りて、ここからはバスでトリュンメルバッハ(の滝)に。
スケールが大きすぎてうまくカメラにおさめることができませんでしたが、この村はスッポリU字谷の中です。
【U字谷】氷河の侵食によって地表がU字状に削り取られて生じた侵食谷
一つ上のシュタウプバッハの滝の画像からもわかりますが、昔にここを流れていた氷河は大きくてとっても深かったのですね!
1934年、2人の山岳ガイドが氷河の中に巨大な洞窟を掘りました(総面積1000平方メートル以上)
それがこのアイスパレスです。
氷河の中を歩いているなんてすごい!
とても滑りやすいので、ちょっとスリリングなところも楽しかったです。
ちなみに氷河の動きによってアイスパレスの天井は年に15cmほどのズレが生じるため、都度補修されるそうです。
氷河って、本当にゆっくり流れているんですね。
このアレッチ氷河の下に掘られた洞窟を、まさに今歩いて来ました♪
ユングラウヨッホ駅(3454m)には世界で一番高い場所にあるチョコレート屋さんがあります。(リンツ)
街では量り売りは(たぶん)ないのですが、ここでは好きなものだけを選んで量り売りをしてくれます(真ん中のテーブルのものだけ)
他で買った別ブランドのチョコレートがあったので、ここではほんの少ししか買わなかったのですが、電車で食べてみたら美味しくてびっくり!
街で買うリンツよりずっと美味しいように感じました。
もっとたくさん買っておくんだったーーー。
5コしか買わなかったのに、レジで2つもおまけをもらっちゃった(嬉♪)
そうそう、富士山午後梅簡易郵便局(2305m)とユングフラウヨッホ山頂郵便局(3454m)は山岳郵便局同士という事で姉妹締結をしているそうです。
なので、昔懐かしい日本のポストが置いてあって、ここに絵はがきとか投函できるんですよ♪
アレッチ氷河をみたあとは、アルパイン・センセーション。
ユングフラウヨッホ駅(3454m)に2012年に完成したアルパイン・センセーションは、ビジュアルとサウンド、イルミネーションを駆使した新しいタイプの観光アトラクションです。
まずはエーデルワイスのお花が出迎えてくれます。
大きなスノーボールの中にはスイスの村の生活が描かれており、色や景色が変わって村の春夏秋冬を見せてくれます。
どの季節も魅力的できれいでしたよ。
それと、さすがスイス! 牛さんが腕時計をしていましたよー(^з^)-☆
青い光がきれいな動く歩道もついたこのエリアでは、ユングフラウ地方のツーリズムの歴史を紹介。
トンネル工夫たちへのオマージュ
ユングフラウ鉄道は1896年から1912年まで(16年間)、途中2年の休止を挟んでイタリア人の労働者がトンネルを掘り続けて完成。
工事中に30人もの方が亡くなり、60人が負傷したそうです。
ユングフラウ鉄道は、スイスの実業家アドルフ・グイヤー・ツェラー氏のアイデアから生まれた。
ツェラー氏は前代未聞の鉄道計画にのめり込み、巨額の個人資産を投資。
ツェラー氏は完成を見ることなくこの世を去りましたが、1913年の全線開通後の1年間に「トップ・オブ・ヨーロッパ」ユングフラウヨッホを訪れた観光客は4万2880人もいたそうです。
ここでは、アドルフ・グイヤー・ツェラー氏の像と、足元にはその「アイデア」がそのままに描かれています。